天理教西宮大教会


西宮の道

天理教西宮大教会の歩みを略史で紹介させていただきます

 

 江戸末期、天保9年(1838年)10月26日、現在の奈良県天理市にある中山家のみき(41歳)に「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。この度、世界一れつをたすける為に天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」との今まで聞いたことのない神からの天啓が降りそれ以降、様々な不思議が現れるにつれ信仰する人が増え、明治10年頃には、近畿一円にまで拡がりをみせていた。

 そのような中、秋岡亀治郎(後の初代会長)は西宮の浜東町で紙漉きを営んでいた。明治19年(1886年)1月2日、一人娘しづが11才の時、当時生命取りといわれていた『黒疱瘡』に罹り、百方手を尽くしたがその効はなく、危篤重態の処、大阪眞明組講元 井筒先生に、たすけを願った。その時に聞かせていただいた「元はじまりの話、身の内かしものかりものの話、八つの埃の話」といった神様のお話は、夫婦の胸に応える話ばかりで、夫婦揃って今までの心を入れ替え親神様にお願い申し上げた処、一夜にして平癒するという不思議な御守護をいただき信仰がはじまる。

明治19年
明治19年 1月2日
秋岡家の入信

明治19年(1886年)1月2日、紙漉きを営んでいた秋岡亀治郎(後の初代会長)・とみの一人娘しづが11才時『黒疱瘡』に罹り、危篤重態の処を、大阪眞明組講元 井筒先生より「元はじまりの話、身の内かしものかりものの話、八つの埃の話」をお説きいただき、夫婦心を入れ替え神様にお願い申し上げた処、一夜にして平癒する不思議な御守護を目の当たりにする。

明治19年 11月
大阪眞明講社西宮組 結成

講元 秋岡亀治郎

明治24年 11月22日
西宮支教会設置のお許し

西宮町内浜東町三丁目三二〇番屋敷

さあ〳〵願い出る処、所々重々一つの理。さあ〳〵許し置こう〳〵。

明治40年 10月19日
初代会長 秋岡亀治郎出直し

享年71歳